富山大で新歓決戦突入、新入生の反応がすごい! |
富山大学の闘う学生は警察権力と一体化した西頭学長の独裁支配をぶち破り、4・7新入生オリエンテーション−4・8入学式に断固登場ししました。09年度富山大学生運動ののろしを上げるにふさわしい闘いを開始した! 富大学生運動はこの間、前期入試に続いて後期入試にも自主入寮募集の闘いに決起して、資本家の金儲けのための新樹寮民営化と徹底的に闘い抜いてきた。そして大学当局が通告してきた3・31「自治会室の撤去期限」を真っ向から迎え撃ち、実力でこれを打ち破った。 西頭学長の学生への独裁支配への怒りは、全世界の労働者階級の戦争と民営化への怒りと完全に一つだ。闘う学生は、昨年4月15日に武藤淳範君を逮捕・起訴した警察権力への怒り、自治寮つぶしへの怒りを満身にたぎらせ、新歓決戦に突入しました。 7日は新入生の最初の登校日だ。朝から470枚のビラをまいて、昼休みに「新樹寮の『改修』=民営化絶対反対! 入寮募集停止を撤回しろ!」の署名を持って新入生の前に登場しました。「教育を資本家の金儲けの手段に変える民営化には絶対反対だ。民営化を粉砕し社会を変えるために学生運動をやろう。民営化の頂点=監獄大学法大を解放する4・24法大集会に決起しよう」という訴えに、新入生の反応がすごい! どんどん署名がとれる。 「民営化は教育に出資してくれる良いことだと思っていたが、『営業権』で情宣活動禁止は許せない。自分も奨学金で借金しないと大学に通えない、民営化は反対だ」「おかしいことはおかしい。法大で冤罪で88人逮捕されるなんて、不正義は許せない」「自分の母親は郵便局に勤めている。民営化は反対」と、多くの新入生と討論が弾みました。 キャンパスに登場すると、極悪職員市川が「自治会室は不法占拠だ」などとわめきながら妨害しに来た。「憲法がなんだ! ビラまきは規則違反だ!」などと、富大当局が自ら改憲攻撃を率先してやっていることを自己暴露した。しかし学生が署名に応じていることに消耗し、10分ほどで撃退された。近くで見ていた新入生からは「あの発言はひどい、録音してやればいい」「キモイっすね! あいつらにはドロップキックだ!」と怒りの声が挙がった。 8日の入学式では、富山大弾圧や新樹寮民営化攻撃に怒り闘いに立ち上がってきた新2年生たちがマイクを握り、新入生にむかって「自治寮を守ろう」「西頭学長や経営協議会の大企業の金儲けのために自治会が非公認になったり自治寮をつぶそうとするのは許せない、ともに闘おう」と訴えました。入学式が終わり帰路につく新入生から多くの署名が集まる。当局の職員は学生の闘いの前に意気消沈し、近づいてくることさえできなかった。 富山大の新歓決戦は8日入学式までに1320枚のビラをまき、22人に「前進」新歓号を渡し、新入生と「前進」を使った討論が始まっています。2日間の激しい闘いの中で全学連の学生たちの団結はさらに強固なものになった。西頭学長独裁からの大学解放、新樹寮民営化粉砕、4・24法大1千人集会へどんどん勢いを増して闘い抜きます!(富山大・M) |
3・29三里塚で不当逮捕のA君を奪還! |
三里塚で3月29日に行われた全国総決起集会の後のデモ行進で、「公務執行妨害」をデッチあげられ不当逮捕されていたA君が、4月9日に奪還されました。習志野警察署に不当勾留されていたA君は、12日間の獄中闘争で完全黙秘・非転向を貫き元気に出獄しました。「僕が獄中にいる間にも、中四国の仲間が闘いの前進を切り開いていたことが本当にうれしいです。今回の弾圧は、大恐慌情勢のもとで動労千葉のストライキや三里塚闘争の前進に恐怖した国家権力が、青年労働者に襲いかかるという政治的な攻撃です。絶対に許せません。第二第三の動労千葉を広島から作り出して反撃します」と、出迎えた仲間にあいさつしました。大勝利!(T) |
法大人間環境学部教授会の倉岡さんへの追加処分許すな |
本日、4月8日に人間環境学部臨時教授会にて倉岡さんに対して追加処分を決定した!ところが追加処分の内容について法大当局は倉岡さん本人にも明らかにすることができないのだ。「処分」に何の正当性もない、追い詰められた姿を示しているのだ。 怒りを抑えることはできない。これはもう法大資本をつぶすしかない。 今日は新歓祭の真っ只中。この時期に処分するとは新入生とサークル員への見せしめ以外のなにものでもない。 これ以上処分されてたまるか! もう実力で大学キャンパスを奪い返すしかない! 4月24日は全人民総蜂起で市ヶ谷キャンパスに結集しましょう! 倉岡さんに追加処分を下した人間環境学部(03−3264ー9327)に抗議の声を集中してください。(法政大・k) |
韓国で、放送局への不当捜索を労組員が実力阻止 |
韓国で4月8日、検察がMBC(文化放送)に対し押収捜索を行おうとしたが、MBC労組員がこれを阻止し、退散させた。MBCは昨年4月、報道番組「PD(プロデューサー)手帳」の中でBSEの危険性を検証し、その衝撃的な映像がその後の米国産牛肉輸入反対100万人ロウソク闘争の直接の引き金となった。これに対し韓国政府は、昨年来MBCへの弾圧を開始し、名誉毀損の容疑で民事・刑事上の告訴告発を行い、さらには最近、プロデューサーを逮捕するなど弾圧を強めていた。 今回、検察は、番組制作陣の逮捕と取材原本の押収のために本社を捜索しようと狙ったが、朝から結集した組合員300人は「PD手帳は正当だ。政治検察は帰れ」などシュプレヒコールを叫び、1時間あまりの攻防の末、検察を追い返した。MBC労組のイグンヘン委員長は、「公営放送MBCが今日、検察にじゅうりんされた。検察の策動を最後まで阻む」と述べ、死守隊活動を強化する方針を明らかにした。また、「報道機関懐柔阻止・メディア公共性拡大のための社会行動」など市民団体もこの日午後、MBC前で記者会見を行い、「検察の『PD手帳』捜査と言論弾圧の即時中止」を要求した。(H) |
★イギリスでイギリス自動車(フォード)工場占拠闘争!!2週間目突入! ・「動労千葉を支援する会」から転載! |
Solidarity with occupying workers at VisteonPeter Marshall | 04.04.2009 20:09 | Globalisation | Social Struggles Several hundred people turned
up at Visteon in Enfield today (Sat 4 April, 2009) to show solidarity with the
sacked workers who are occupying the factory demanding that the Visteon and The
Ford Motor Company meet their moral obligations.
Pictures Copyright (C) 2009 Peter Marshall, all rights reserved. |
NATO首脳会議に抗議の実力闘争 アフガニスタン侵略戦争弾劾! | |
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★石川真生さん(写真家)からメール・電話を頂きました!! ・「ギャラリーマキ」で「日の丸を見る目」の写真展が行われるそうです!昔の「チャンプルー街」の写真や晋君・サオリちゃん・祐樹を撮った写真もあります!ぜひ見に行ってください!! |
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↓↓真生さんからの案内メール
みなさん、ごぶさたしています。 今回、東京の「GALLERY MAKI」から依頼があり、5月23日〜6月12日まで「日の丸を視る目」展が開催されることになりました。 2007年から再び撮り始めたニューバージョンはまだまだ撮影途中ですが、1990年代に撮った写真だけではなく、現在撮っている写真も見せたくて発表することにしました。 みなさんの写真も展示します。宣伝してくださいね。案内状を添付しました。 私は5月23日の「トークショー」に出ます。来れる方はぜひ会場でお会いしましょう。 以下の私のライブドアのブログにも案内が載っています。開いて見てくださいね。 |
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↓↓「ギャラリーマキ」の案内(ブログより) | ||
「日の丸」を視る目 ● 石川真生展
巻きこまれ、溶けあい、昇りゆく写真:石川真生試論 福住廉「あたし」と「あなた」が溶けあい、とろけあい、ひとつになれるということ。人間と人間のコミュニケーションの原型が他者との同一化というフィクションにあるとすれば、石川真生の写真ほどそうした融合の働きを体感させる写真はない。それは、彼女が映し出す沖縄やフィリピンの女たち、あるいは米軍基地に勤める兵士、自衛隊員、港の沖合士、沖縄芝居の一座、そして米軍基地をめぐって揺れる沖縄市民などの生々しい「生」が、それらを眼差す私たちの「生」を激しく共振させるからだが、同時にそこには被写体との関係を結んだ石川自身の影が間違いなく落ちているからでもある。被写体との一定の距離を保つ客観幻想に囚われる写真家が多いなか、石川真生はそのあいだの距離をできるだけ縮めようとしている。だからこそ金武の外人バーで働きながら、そこに集う人間たちの営みを撮影した石川は、当時を振り返って、次のように断言できるのだ。「そのとき、私は基地の町の女、そのものだった」(『カメラ毎日』1982年7月号)。自己と他者、あるいは写真を撮る主体と撮られる客体の境界線が不明瞭になるほど、全身で対象に没入していく徹底的な潔さこそ、石川真生の真骨頂である。 こうした方法論は、社会学や人類学でいうところの「フィールドワーク」に近い。それは、一般的には現場に継続して滞在しながら文字化ないしは数値化される以前の一次情報を収集する活動全般を指しているが、より概念的に言い換えれば、「外部」の視線を持ちながら「内部」に入り込むことだといえる。ここでいう「外部」と「内部」はあくまでも任意のカテゴリーだから、必ずしも未知の諸外国だけが「外部」とは限らないし、私たちが暮らす日常生活が「内部」であるとも限らない。つまり、ふだん慣れ親しんでいる日常社会を「異世界」として発見しなおす身ぶりも立派なフィールドワークである。じっさい、沖縄芝居の一座に同行するにせよ、自衛隊に密着取材するにせよ、沖縄生まれの石川が勝手知ったる沖縄から未知の事実や声を丁寧に浮き彫りにしていくフィールドワークの手法は、石川真生の長い写真のキャリアに終始一貫する構えにほかならない。それが凡百のジャーナリストにも勝る優れた行動力であることは疑いないとしても、しかしここで重要なのは、「外部」と「内部」をどこに措定するにせよ、フィールドワークにおいて両者は決して同一化しえないということだ。たとえ「内部」に自然に馴染むことができたとしても、フィールドワーカーが「外部」の視線を手放すことはない。それを放棄したとき、フィールドワークという方法論はたちまち失効してしまうだろう。同様に、石川真生の写真がどれほど対象に没入していたとしても、写真を撮るという一点において、そこには「外部」の視線が辛うじて保たれている。いみじくも東松照明が鋭く指摘したように、「ミイラ取りがミイラになる直前の危うさのなかで見た人生の裸形がここに投げ出されてある」(『カメラ毎日』前掲誌)のだ。 対象に接近していく志向性とその対象から身を離す志向性。この相反する運動性を限界ぎりぎりまで突き詰めること。それが、石川真生の写真に通底する表現の原型である。けれども、それは写真家やアーティストが陥りがちな、主観的な独創性という神話に囚われているわけではない。逆に、それは石川の「外部」に大きく開かれている。本展でおよそ10年ぶりに公開される「日の丸を視る目」のシリーズは、石川真生の写真表現であると同時に、いや、じつのところそれ以上に、被写体である市井の人びとによる表現でもあるからだ。この一連のシリーズは、「日の丸を使っていろんな人に表現してもらったらおもしろいんじゃーないか」(『アサヒグラフ』1999年9月17日号)という石川のひらめきに端を発しているが、そこにはヤマトの人びとによる自己表現によって、沖縄人である石川自身が「自分が何者であるかを知る」というねらいがあった。だが、おのれを知ったのは石川だけではないだろう。日の丸を材料にして自分自身を表現するという非日常的な経験は、まちがいなく被写体となったヤマトの人びとにとっても、自己と日の丸との関係性を問い直し、ひいては自分の立ち位置を再確認することになったにちがいない。つまり、石川真生と彼女が選んだ人びとの双方が重層的に折り畳まれている間主体的な表現のありようこそ、「日の丸を視る目」のシリーズを支える構造なのだ。ある一面では、異分野のクリエイターが協同するコラボレーションといえるのかもしれない。だが、「日の丸」をめぐる沖縄と日本のねじれた歴史を考えると、むしろウチナーンチュとヤマトーンチュというそれぞれの他者が出会う闘技場というほうがふさわしいのではないだろうか。ちょうど石川真生がイデオロギーの相違を越えて、さまざまな立場の人びとに接触することで日の丸をめぐる豊かな差異を明らかにしたように、私たちが味わいたいのは、これらの写真のなかで拮抗し、あるいは調和し、もしくは反発する、多種多様な表現の激突にほかならない。すると、「外部」に開かれている石川の写真は、必ずやこう問い返してくるはずだ。 ◎ふくずみ・れん[美術評論家]
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★4月6日(月)ジュゴンの家日誌 | ||
←店頭にもたくさん置いています。 →「裁判員制度学習会」百万人署名運動主催。裁判員制度なんて粉砕だ!! |
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おもちゃコーナーをひっくり返して遊ぶ祐樹くん。だいぶ背が伸びてきました。 | 「もしもーしこちら祐樹でーす」 まだしゃべれません。この頃は「マンマ・マーマ・パーパ」を使い分けられるようになりました。 |
お仕事の帰りにサオリちゃんが来ました。 |
前の晩の夕食。サオリちゃんの要望で鶏肉団子の鍋。 | チンゲンサイの和え物 | 祐樹もパクリ! |
「まんまー早くー!」とダダをこねる祐樹くん。 | 今日は親子丼! | ご飯食べたらめっちゃ笑顔です。 |
サオリちゃんも「おいしー」と一言。 |
★4月1日(水)ジュゴンの家日誌 | ||
東京からIくんが1人で来店 | 常連のヒガおじぃ | ジュゴン石鹸は完売しました。 |
←なおちゃんが寄付を持ってきてくれました。 →新品のお皿セットも。 |